華やかなレコード会社から地方の酒蔵へ。そして経営の世界へ。転職2回で見えた“逆算型キャリア戦略"の本質


お前さんのキャリア、ほんまジェットコースターやな。
レコード会社から酒蔵行って、税理士法人て……。どんな転職ルートやねん。

そう聞くと確かに変だよね。でも、自分の中では全部つながってるつもりなんだ。
一見バラバラでも、今のCLEMAの“原点”はここにあるんだよ。
明治大学商学部を卒業して、レコード会社に新卒入社。
中学、高校、大学、就活——すべて一度も浪人も留年もなく、
いわば“失敗知らず”のまま社会に出た。
そのころの私は、なんとなく「努力すれば報われる」と思っていた。
テスト勉強も部活も、就活も、ちゃんと頑張れば結果が出てきた。
でも、社会に出た瞬間、それが幻想だったことを思い知らされた。

お前さんみたいに“順調コース”で来たタイプ、社会出て最初の壁でガツンとくるやつ多いねんな。
“努力すれば報われる”が通用せん世界やからな。

ほんとそれ。初めて“努力しても結果が出ない”って経験をした。
あのときの挫折感は今でも忘れられないよ。
最初の配属は東京営業所。
エンタメのど真ん中、華やかな世界で仕事をしているはずなのに、
現実は「使えない新人」の烙印。
先輩に可愛がられる言動、挨拶、スキル——全部が未知の世界。
社会の“空気”を読めず、先輩に迷惑をかけてばかり。
結局、1年目で大阪に異動。
「左遷」とまでは言われなかったけど、実質そうだったと思う。

あのな、それ普通に左遷やで(笑)。
けどまあ、社会ってそういうもんや。順風満帆なんて続かへん。

うん。あのときはプライドもズタズタだったけど、
今振り返ると“失敗の入り口”に立った瞬間だったんだと思う。
大学までは、順調に“うまくいくこと”が正義だった。
でも社会は、“うまくいかない時間”で鍛えられる場所。
この時点ではまだ気づけなかったけど、
私の“キャリアの本質”はここから始まっていた。

ええこと言うやんけ。
成功より、失敗のほうがキャリアの芯になるもんな。
ま、当時はそんな余裕なかったやろけど。

ほんとに。あのころの自分に“それも経験だ”なんて言っても、絶対聞く耳なかったと思うw
Contents
レコード会社時代 ― 華やかさの裏で学んだ現実

レコード会社言うたら華やかな世界やろ?
芸能人と会ったり、打ち上げでシャンパンとか、枕営業とか。正直、ちょっと羨ましいで。

可愛い猫のくせに枕とか言うなw
確かに入社前はそう思ってた気がする。
エンタメの最前線で働くって、学生時代の自分には“勝ち組”に見えてたからね。
でも、現実は全然違ったんだよ、チャン丸。
最初の配属先は東京営業所。
入社した瞬間から重苦しい雰囲気だった。
ミスをしないよう業務をこなして、上司に評価されるように頑張る。
誰もが忙しそうに走り回っていて、新人の自分は完全に浮いていた。
今思えば、学生あがりの新人なんて何もできないんだから、変なプライドを持たず元気よく振る舞ってれば良かった。

何をやっても中途半端で、“使えないやつ”って思われてたと思う。
会社の空気を読むとか、阿吽の呼吸で動くとか、そういうのが本当に苦手だった。

お前さん、理屈で動くタイプやもんな。当時は行動力も欠けてただろうし。
感情とか空気で動く職場はしんどかったやろ。

ほんとにそう。
もちろんちゃんと先輩が教えてくれてはいたけど、おんぶに抱っこではない。実際は“察して動け”の世界だった。
1年目の終わり、会議室で部長から言われた一言は今でも覚えている。
「大阪営業所への異動を命じる。」
当時は冗談だと思ったが、翌週には正式に告示が出た。
表向きは「経験を積ませるための異動」。
でも実際は、左遷に近かったのだと思う。
東京の華やかな世界から、地方の泥臭い現場へ。
失敗をしてこなかった自分にとって、「自分は終わった」と思った。

左遷て言われたらそらショックやな。
けど、お前さんあれやろ? 大阪で化けたんやろ?

自分で言うのはアレだけどね。他人の評価はさておき、ゴリゴリに「コミュ力」が磨かれたと思ってる。
正直、あの大阪時代がなかったら、今の自分はないと思う。大阪での2年間で社会人としての骨ができた感じだね。
大阪営業所には、とんでもない上司がいた。
・毎週月曜はデスクに呼ばれて週末のイベントの報告で詰められる
・(ツッコミだが)普通に頭とかシバかれる
・デスクを蹴られる
・スキンヘッドで見た目がそもそも怖い
もはやパワハラモラハラ何でもありのモハメド・アリって感じだった。
でも、その上司の言葉や指導には愛があった。
理不尽の中に、確かに愛があった。

最初はマジで嫌いだったけど、気づいたら尊敬してた。
「社会人1〜2年目の上司は親みたいなもん」「仕事のミスは仕事でしか返されへん」て言葉が今でもずっと残ってるなー。
怖かったけど、熱く面倒みてくれた「人生で最初の上司」って今でも思えるね。

そらええ話やけど……デスク蹴るのはやりすぎやでw
ちな、ギャグかラップか知らんけどモハメド・アリはスキンヘッドちゃうで。

なんでもアリのモハメド・アリってなんか口癖なんだよねw
炎上覚悟で言うと、適度なハラスメント的指導って人を強くすると思うんだよ。
過度なパワハラはダメだけど、“誰かに本気でぶつかられる経験”って、今の時代ほとんどないでしょ。
その後、東京の本社に戻されて、声優やアニメ作品のプロモーション担当に。
再び華やかな世界に戻った。
でも、今度は違った意味でしんどかった。
仕事のスピードも、求められるレベルも高すぎた。
22時に終わったら「早く終わったな〜」って感覚。当時は独身だったから、合コンは21時スタートだとありがたかった。
ミュージックビデオの撮影とか入ると朝までコースも。土日はコンサートや販促イベント。
「このままじゃ何も残らない」と思い始めたころ、
突然の人事異動。今度は経理部へ。

おいおい、また左遷かいな。お前さん、異動カード多すぎやろw

ほんと、キャリアガチャ引きまくりだったねw
でもこの“経理左遷”が、意外にも人生のターニングポイントだったんだ。
経理の仕事を始めた初日、
営業時代には見えなかった「会社の全体像」が数字で見えた。
売上も、原価も、利益も、
今まで“感覚でやってたこと”が全部ロジックで理解できた。
簿記の勉強を始めたのはそのころ。
仕事終わりにカフェやファミレスで電卓を叩く毎日。
1ヶ月で簿記3級、2ヶ月で簿記2級合格。
「自分って、数字の世界のほうが向いてるのかもしれない」と思った。

簿記とか勉強したら勉強した分、仕事の結果に繋がっていくのが面白かったんだよね。今までの順調パターンの自分の人生にあっていたというか。
“頑張ってるつもり”が通用しない業界だからこそ、経理部は居心地がよかった。

なるほどな。エンタメの“感覚”から数字の“現実”へか。
ええ転機やないか。
経理で評価されるようになり、仕事が少しずつ楽しくなった。
営業や宣伝時代は「センス」で負けてたけど、
経理は「努力」で勝負できた。
そんな中で、「もっと難しい資格に挑戦したい」と思い始めた。
それが中小企業診断士との出会いだった。
当時はまだ、ここから何年もかけて苦労するとは思っていなかった。

まさかこのあと、診断士試験に受かるまで6年もかかるとは思わんわなw

あのときの自分に教えてやりたいよ。
そんな生半可な気持ちで片足突っ込んで良い資格じゃないぞと。
酒蔵時代 ― 地方への“Uターン転職”のリアル

ほな、次は酒蔵か。
お前さん、レコード会社から日本酒て…ジャンル飛びすぎやで。

ねw
30歳のときに将来のキャリアについて考えることもあったんだけど、仕事も資格も行き詰まって、“もう環境変えたいな”って。
30歳。
レコード会社の仕事にも飽きてきて、人生で初めて“やりがいを感じない時間”が続いた。
診断士の試験も2回落ちて、モチベーションは底だった。
そのころ結婚して2年目。
奥さんは福井出身。
家を買う話も出てきて、自然と「福井に帰ろっか」という流れになった。
東京の喧騒から離れたい気持ちもあった。

ちょうどコロナの頃やったんやろ?
そら、“地元に帰って落ち着こか”って気分にもなるわな。

そう。2020年、ちょうどコロナ真っ只中。
満員電車もストレスだったし、資格に落ちたりと色々と悩んでいたし、田舎でのんびり働くのも悪くないなって思ったんだ。
そこから転職活動を始めた。
リクルート、マイナビ、ビズリーチ……有名どころは全部登録。
けれど、すぐに痛感した。
「大手エージェントって地方の転職に弱い」。
掲載案件は少なく、担当のフォローも薄い。
まるで“東京の延長線上”で地方を見ているような感覚だった。
地方求人は片手間。
担当ガチャで外れを引いたときの虚無感といったらなかった。

わかるわ〜。
大手の担当って、優秀な人ほど都内担当に回されるからな。
地方は新人とか無能なおっさんが多い。ワイも昔そんな話よう聞いたで。

ほんとそれ。
エージェントに限らず、大手って“優秀な人材は都心配置”が基本なんだよね。
地方転職に限らない話だけど、転職エージェントって正直“担当ガチャ”だと思う。
そんな中で人生で初めてハローワークにも相談に行ってみた。
でも、紹介される仕事は待遇も年収もピンとこない。
「これが地方の現実か」と思った。
そして色々探す中でたどり着いたのが、地元では有名な老舗酒蔵。
都内でも日本酒好きなら知っている高級ブランド。
きっかけは、たまたまその酒が好きだったことと、
製造部長が親戚にいたことだった。

好きと縁で入るパターンやな。
まあ悪くない。運も実力のうちや。

そう、正直“この酒造で働けるなら面白そう”と思った。
経歴も買ってもらえて、マーケティング職で採用されたんだ。
当時は“田舎最高!”ってテンションだった。
最初の数ヶ月は、本当に天国だった。
満員電車がない。マイカー通勤。
通勤時間は完全に自分の空間。
東京では“家に帰ってからがプライベート”だったけど、
福井では“車に乗った瞬間からプライベート”。
車の中で好きな音楽を流して、歌って、叫んで、
「ああ、ストレスないって最高だな」とか思ってた。

けど、慣れたらそれも日常になるんやろ?

そう。
渋滞に巻き込まれたり、雪の日に早起きして車の雪下ろししたり、
結局どこにいても“通勤ストレス”はあるんだよねw
酒蔵の仕事は、想像よりも“昭和”だった。
マーケティング職でも、出社時間は全員8時。
7:55から全員でラジオ体操。
昼12時休憩、17時退勤。
誰も文句を言わない、完璧な朝型勤務。
ただ、その“きっちり感”が次第にきつくなった。
レコード会社時代にフレックス勤務に慣れていた自分には、
時間をコントロールできない生活がストレスだった。

朝のラジオ体操は今でもモーニングルーティンになるくらいハマったんだけどね。肩こり、腰痛の人マジで試してみて。
ただ、毎日同じリズムでしか動けないのが苦しかった。

ラジオ体操はホンマにええって言うよな。
地方の“みんな一緒”文化やな。
空気はええけど、自由は少ない。
もう一つの問題は、“尊敬できる人”がいなかったこと。
レコード会社では、尊敬する上司や先輩が山ほどいた。
でも酒蔵では、「この人みたいになりたい」と思える人がいなかった。
悪い人ではないけれど、
どこか惰性で働いているように見えた。

あの空気に染まったら、自分も終わるなと思った。
“このままだと自分が腐る”って、毎朝出社するたびに思ってた。

環境ってほんま怖いな。
向上心ある人ほど、まわりの停滞に耐えられへんねん。
幸い、定時に帰れる環境だったので、
再び診断士の勉強を始めた。
しかし、またも2回落ちる。
30代前半、努力しても成果が出ない現実。
焦りと停滞感の中で、ふと気づいた。
「とりあえず、このままここにいたらダメだ」と。
そして次の転職を決意した。

ほんと決断ギリギリだった。
あのまま続けてたら、何も変わらない30代を過ごしてたと思う。
“腐る前に動く”って大事だね。

ええ判断や。
転職って、逃げるんやなくて、自分を守るため、次に羽ばたくためにするもんやからな。
次に動いた先が、税理士法人。
中小企業診断士として独立するための“最終修行”の始まりだった。
税理士法人時代 ― キャリアの最終修行

で、次は税理士法人やったな。
レコード会社→酒蔵→税理士って、そんな人おるんかいな。

ここにいるよ。
でも、この転職は“最後の修行場”って気持ちだったんだ。
酒蔵時代に“このままじゃ自分が腐る”って気づいて、もう一回ちゃんと成長したいと思った。
再びリクルートエージェントに登録。
今回は、運よく担当ガチャが“SSR”。
ヒアリングが上手く、希望を的確に引き出してくれる担当だった。
「診断士事務所に行きたい」と思っていたが、福井には本格的な事務所は少ない。
代わりに、気になっていた税理士法人の求人を紹介された。
HPもきちんとしていて、良いイメージを持ったので担当に繋いでもらい、面接へ。

正直、未経験やったけど“東京の会社で経理経験ある”ってだけで評価してもらえたんだよね。
診断士1次合格もあって、未経験でも何とか採用してもらえた。

東京ブランドはまだまだ強いな。
ワイも思うけど、一回でも都心で揉まれたやつは、仕事の勘が違う。
入社してしばらく経ってから、現実を思い知った。
税理士法人という場所は、“正確さ”と“スピード”の戦場。
しかも当時の職場は、ほとんどの人が「残業」の感覚が麻痺しているまごうことなきブラック。
繁忙期は22時退勤がデフォ。
土日もサービス出勤。
正直、酒蔵の「健康勤務」が恋しくなった。

辞めようと思ってからの半年間は毎日“辞めたい”って思ってた。
でも、同時に“ここを乗り越えたら絶対に強くなる”って確信もあった。

修行モード突入やな。
「1万時間の法則」があるから、人生で“地獄の2年”ってだいたい後から財産になるんやで。
ひたすら決算書を作り、補助金や組織再編のインプットを繰り返す日々。
所得税、法人税、消費税、相続税、贈与税。
税務会計の世界はとにかく奥が深く、
素人未経験の私にとっては良くも悪くも毎日が学びだった。
仕事の合間に、中小企業診断士の勉強を積み上げる日々。

あの頃、労働時間以外は全部診断士の勉強に使ってた。
正直、仕事もプライベートもずーっと経営の勉強してたな。

えらいストイックやな。
ワイやったら3日で音上げとるわ。
税理士法人の年収は450万円。
酒蔵からは上がったが、一番若かった頃のレコード会社時代の600万円には遠い。
それでも、「金より経験を取りに行く」と決めていた。
正直、当時の生活はギリギリ。
奥さんのちょっとした買い物にも心が揺れるほど余裕がなかった。
でも、精神的には前を向けていた。
「この経験が未来につながる」と信じていたからだ。

今思えば、税理士法人での2年が一番しんどかったけど、一番スキルが伸びた。
会計、税務、組織再編、事業承継……知識ももちろんだけど、「経営者と対話する場数」が劇的に増えたことが今に繋がっていると思う。

そらええ。
その道を極めるためには、どれだけ打席に立って空振りを続けたかやな。立つだけで見逃しもアカン。何度も打席に立ってバットを振ることや。
中小企業診断士としてマーケティングやブランディングを語る上でも、
数字の裏付けがあるのとないのとでは説得力が違う。
この時期に決算書を「自分の手で作った経験」が、
独立後の自信になっている。

今のCLEMA(当社)のサービスでも、単なる「SNS運用代行屋」ではなく、財務面も含めた経営全体の視点からアドバイスできるのはこの時の経験のおかげ。
結果的に、あの“地獄の2年”が最強の投資になったと思う。

ええ話やな。
でもな、そうやって乗り越えられたんは“出口”が見えとったからやろ?

その通り。
“3年で診断士として独立する”って決めてたから続けられた。2年でやめたけどw
イグジット戦略というか、ゴールから逆算するキャリア戦略って、キャリアでもめっちゃ大事なんだよ。
目の前の仕事に埋もれると、人は“なぜ働くか”を忘れる。
でも、目標と期限を持っていれば、苦しさは意味に変わる。
そして2年後、ついに診断士試験に合格。
それは「報われた」瞬間ではなく、
「ようやくスタートラインに立った」瞬間だった。

ブラック企業に耐えて資格まで取るとか、根性ありすぎやろ。
ある意味バグっとるんかもな。

コツコツ頑張ることは昔から性に合ってるからね。
でもあの頃は、毎日“これが未来の自分に返ってくる”って思いながら必死だっただけだよ。
こうして、私の“会社員”の最終章が終わった。
次はいよいよ、“独立と再出発”のフェーズへ。
独立と気づき ― “逆算”で生きるキャリア論

ほな、いよいよこの記事の最終章やな。
税理士法人の地獄修行を抜けて、ついに独立やろ?
ワイ、感慨深いで。

いやほんと、あのときは“やっと解放された”って感じだったw
1年先に奥さんがエステサロンで独立開業してたのを隣で見てたから、不思議と怖さは全然なかった。
“やっと自分の人生を自分で動かせる”って感覚だった。
2024年、「CLE中小企業診断士事務所」で個人事業開業。1年後には法人化し「合同会社CLEMA」を設立。
診断士としての独立は、派手なスタートではなかった。
事務所も小さく、最初の仕事は知り合いの紹介から。
でも、ひとつひとつの案件に本気で向き合ううちに、
紹介の連鎖を生んで、「自分の力で食っていく」という実感が積み上がっていった。

お前さん、10年以上会社勤めしてたのに、
よう個人でやる決断したな。普通は怖くてできへんで。

怖さはなかったな。
もう、“ここまでのキャリア全部を投資してきた”って感覚だったから。
レコード会社での経験も、酒蔵での気づきも、税理士法人での修行も、全部このためだった。
会社員のころは、「上司にどう見られるか」を気にしていた。
でも独立してみると、世の中は驚くほどシンプルだった。
「誰の役に立てるか」だけ。
自分の価値を誰に届けたいか、それだけを考えればよかった。

やっと“会社の中の評価軸”から抜け出せたわけやな。
会社の中におると、評価が全てになりがちやからな。

ほんとそう。
でも、独立してみて気づいたのは、
“会社の外でも通用するスキル”を持ってる人って、意外と少ないんだよね。
同じお客さんへのルート営業、前例踏襲・思考停止の業務遂行、社内システムの使い方熟練、社内稟議の通し方、上司への根回し。
会社では評価されても、外に出た瞬間ゼロになるスキル。
“社内限定の強さ”に頼っていたら、社会では生き残れない。

転職ってさ、逃げじゃないんだよ。
“スキルを身につけるための移動”だと思ってる。
動くことでしか、次の景色は見えない。

ええこと言うやん。
ワイもそう思うで。
止まってたら錆びる。人もキャリアもな。
独立してからの生活は、すべての選択が“自分の責任”で、“自分の糧”になる。
その感覚が、何より心地よい。
お金の面で月収は150万円くらいまで上がったけど、それよりも自由な時間が増えたり、働く場所に縛られなくなったのが大きい。
この記事も恵比寿のドトールで7時くらいから書いてる。午後からは適当にチルして夜は中小企業診断士の仲間と懇親会。
働く「自由」が劇的に増えた。それが一番の報酬だった。

10年前の自分に会えるなら言いたいよ。
“大丈夫。失敗しても、回り道しても、ちゃんと意味になるから”って。

ええこと言うやん。
ただお前さん、30代なのに早くも“説教くさい診断士”の風格出てきたでw

やめろwwwww(気をつけます
まとめ(チャン丸から読者へ)

転職とか独立とか言うけどな、
一番大事なんは“自分がどう生きたいか”を決めることやで。
会社が変わっても、環境が変わっても、軸がなかったら何も残らん。

お前さんの話、波乱万丈やけど、全部つながっとった。
結局、転職って“逃げ道”やなくて、“成長の抜け道”なんやな。
華やかな世界から、静かな酒蔵、そして経営の現場へ。
転職のたびに迷い、学び、積み上げてきたものは、
すべて今の"「CLEMA」という形になっている。
CLEMAの経営理念は「少し考え、すぐ動く」。
環境は、自分で変えにいくものだ。

保有資格:中小企業診断士(国内唯一の経営コンサルティングの国家資格)
合同会社CLEMA 代表
大手レコード会社、日本酒メーカー、経営コンサルティング会社を経て合同会社CLEMAを設立。SNS採用、SNS集客を中心に中小企業の支援している。公的機関でのコーディネーターも行っており、年間300社以上の中小企業の相談対応を行っている。


