【二拠点生活はじめます】転職?副業?独立?自由な働き方の追求

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こんにちは。中小企業診断士の西村星彌(合同会社CLEMA)です。
このたび、東京・広尾に事務所兼店舗を構えることになり、福井と東京の二拠点生活を始めることになりました。
うおおおおお!広尾ですよ。広尾。セレブの集いし街、センターオブTOKYO。しかも新築ですよ。新築。
住居用ではなく、法人としての物件契約ってめちゃ大変なんですね。良い物件を探すのに2ヶ月ほど苦労しましたが、ようやく「ここしかない」という物件が見つかり無事契約ができました。法人としての物件探しもやってみないとわからないもので、良い勉強になりました。
いや〜中小企業診断士として独立して9ヶ月、ついに「広尾の社長」という属性を手に入れてしまいました。憧れ、嫉妬、羨望、妬み、僻み、憤怒、嫌悪、焦燥感、尊敬、コンプレックス、どんな感情でも良いので「広尾の社長」と一言持ち上げてくだされば東京で一杯奢りますよ。
私、現在は福井を拠点に活動しているのですが、いくつかの流れと想いが重なり、ようやく「やってみよう」と決断しました。
今日はこの喜びのテンションのまま、この二拠点生活に至るまでのきっかけと経緯をお話しようと思います。
そして、この記事を読んでいただいた方に「中小企業診断士という働き方の自由さ」が伝われば幸いです。
【本記事はこんな方におすすめ】
・中小企業診断士として転職・副業・独立を検討している方
・今まさに試験合格に向かって頑張っている中小企業診断士受験生
・二拠点生活に興味がある方
・Uターン転職を考えている方
・都会の生活に疲れスローライフに興味がある方
・今の環境を変えたいと思っている方
東京→福井→再び東京へ。人生のUターン・S字カーブ・そして輪廻転生(?)へ
私は18歳まで福井で育ち、明治大学進学を機に上京しました。
そこから約12年、東京で青春を謳歌してきました。レコード会社に新卒で入社し、毎日が忙しくも楽しい日々。でもある時ふと、「このままの働き方でいいのか?」と自問するようになりました。ちょうど30歳になる頃です。
結婚、住宅購入の検討、キャリアへの違和感(音楽業界にも少し飽きていた…)、コロナによる働き方の再考、そして中小企業診断士2次試験で239点という絶望的な不合格(240点で合格です)。いろんなことが30歳の時に重なって、「環境を変えたい」という気持ちが芽生えました。そして、このタイミングで一度中小企業診断士を目指すことを諦めました。
妻も福井出身だったこともあり、思い切って地元に戻ることに。そしてご縁があり、地元で有名な酒蔵(日本酒メーカー)でマーケティング職として再スタートを切ることになりました。
引っ越す時には「東京なんてどこに行っても混んでるし、わざわざ高い家賃を垂れ流して住んでるのって馬鹿らしいよね」などと、東京で通用しなかった自分を納得させていたように思います。
そして、いざ福井に戻ってみると…定時で仕事が終わるし、自分の時間が爆増。文字通りのスローライフってやつです。
満員の通勤電車からも解放されて、マイカーによるプライベート空間が維持された通勤で最初の頃は「田舎、最高!」くらいに思っていたのですが、日々を過ごす中で「暇すぎる」と感じるようになりました。
この「個人スラック」がイノベーションを生みました。(組織スラック、試験にでますよ😊)
やっぱりもう一度、診断士に挑戦しよう。そう思えたのです。
転職活動で突きつけられた「Uターン転職者」への厳しい現実
今でこそ楽しくやっていますが、受験生時代は「家族の期待への裏切り」「努力が報われない絶望」「家族からの諦め感」「Uターンしてからの収入激減」「勉強に時間をとられ家族と過ごす時間の激減」「転職活動で実感する自分の低すぎる市場価値」「税理士法人での長時間労働」「ストレスによる眼病発症」もうそれは一言でクソな生活でした。
Xではネガティブなことはポストしないと決めているのですが、ブログなので許してください。まさにUターン転職の失敗事例とは当時の私のことだと思います。当時の自分なら、「年収」と「市場価値」を下げるので、たとえ地元であろうとも絶対にUターン転職をおすすめしません。(今では後述しますがむしろ「最善の選択」だと思っています)
一度東京から福井にUターンし、福井でクソな生活を味わう中で「東京に戻る」という選択肢がなかったわけではありませんでした。中小企業診断士の1次試験に合格すると、「中小企業診断修得者」なる称号を得られるようになったので、合格前ではあるものの、この新たに作られた肩書きを武器に転職活動を試み「転職市場における自分の市場価値の低さ」をまざまざと見せつけられました。
そう、一度でも「都落ち」したアラサーに都内での新たなチャンスは与えられないのです。
東京のよく知られている会社で働いているアラサーが「中小企業診断修得者」として転職するのであれば、資格の効果が限定的だと思いますが、この大転職時代かつ「どこの会社も30〜40代の中堅が少ない」現代から考えると、めちゃめちゃ求められる人材でしょう。
一方、「ワーホリにいったら社会復帰は困難」という通説があるのと似たような発想で、「一度でも都内で働くことからドロップアウトした者が、再度都内で働くのは困難」なのです。採る側の立場ならそうですよね。企業側は一般的には「長く働いてほしい」と思うわけで、ずっと東京に拠点を持ち東京で頑張っている人と比べると「また福井に帰ってしまうかもしれない人」というレッテルが貼られた奴では勝負にならないわけです。(タイピングしてて気づいたのですがワーホリ帰りの人の社会復帰とは少しずれていましたね。
福井で住宅ローンを組んでしまっている状況で、上記のようなクソな生活が続いていくわけです。
30歳までの青春時代を東京で謳歌していた私と妻。「福井の家を売り払ってでも東京で再チャレンジ!」「失敗したUターン転職をやり直す!」などと、東京への想いは日に日に増していきました。
診断士で人生逆転。会社員のときより収入も自由度もアップ
さて、怪しい情報商材を売りつけるような見出しとなってしまいましたが、見出しに嘘偽りはございません。中小企業診断士という資格に人生救ってもらいました。
今では、会社員時代の3倍の収入を得られるようになり、時給換算だと10倍じゃ収まらないかもしれません。
診断士としてのお仕事を安定的に獲得できるまでに色々とチャレンジと失敗は繰り返したのですが、ずっと意識しているのは診断士としての「ポジショニング」と「ブランディング」です。特に「ポジショニング」については師匠から教えてもらって今でも継続的に意識していることです。中小企業診断士としてお客さんにSWOT分析しろと言う前に、まずは自分のSWOT分析ってことですね。ご存知の通りSWOT分析は1回やって終わりではないので、今後も継続的に意識していこうと思っています。お仕事獲得についてはまだ語れるほどの実績はございませんが、油断せずがむしゃらに、虎視眈々とコツコツと頑張っていこうと思っています。
中小企業診断士として独立して、何より大きいのは「勤務時間」に縛られなくなったこと。
満員電車も、交通渋滞も、朝のラッシュも、全部不要。
もちろん、公的機関のお仕事等でたまには満員電車や朝のラッシュに突っ込むことはありますよ。ただ、自分の生活ルーティンの中に「お客さんではなく、自分が所属している会社からの命令でどこかに行かされている感覚」が排除されるという事が何よりの独立のメリットだと噛み締めています。
お金・仕事のストレスは減り、自分の余暇時間がぐっと増え、家族と過ごす時間も増えて、中小企業診断士として独立する事で受験生時代のクソな生活で抱えていた課題や悩みは全て解消されました。
二拠点生活を決めた5つの理由
さて、診断士として独立することで自由となった私。「生活の拠点に縛られる」という不自由からの解放を求め、「二拠点生活」を実現すべく動き出します。
転職市場では無価値のレッテルを貼られた私が、独立して東京へリベンジする物語です。観たことないですが多分東京リベンジャーです。
長々と二拠点生活の構想に至ったお話をしてきましたが、この度二拠点生活を決めた理由についてまとめていきます。
①福井でエステサロンの実績が出せた
属性がブレるのであまりXでも告知をしていませんでしたが、当社(合同会社CLEMA)ではエステサロンを経営しています。
福井にUターンしてしばらく経った後、妻が自宅でエステサロンを開業しました。
妻の中では東京にいる時から自分の店を持つと言う夢はあったのですが、収入の面でも私の会社員のお給料だけでは足らず、なかなかGOサインを出せない日々が続いていました。
いよいよ色んなもの(略)が爆発しそうな雰囲気もあったし、何より診断士として活動する際のコンサル練習にもなると思い、1ヶ月食パン生活を覚悟し応援することに決めました。
そう、実は妻は私よりも半年早く独立した個人事業の先輩だったのです。
私は開業手続きやSNS運用を支援。レコード会社や酒蔵でマーケティングをやってたので、この時点でそれなりに知識はありました。
結果として、ホットペッパーを使わずInstagramだけで集客し、リピーターで埋まる人気店に成長しました。
この開業から集客までの成功体験(ノウハウ)を得て、「東京で同じことをすれば成功できるかも」という自信が湧いてきました。
また、「東京にもある店舗が福井にもある」っていうのは、田舎の店舗ビジネスにとっては大きなアピールポイントになり「東京進出=福井店のブランド力アップ」にも繋がると感じました。
そう、広尾を選んだ大きな理由は「エステサロン2店舗目」としても二拠点生活を行うためです。
② 東京に顧客ができた
最近になって、東京に診断士としての顧客が3件できたんです。
拠点が都内にあれば、お客さんと対面でコミュニケーションがとりやすくなります。
基本リモートで完結することも多いのですが、都内に拠点があれば信頼感も上がるし、新規顧客を紹介してもらいやすくなるかもしれない。
先ほどの店舗ビジネスと同様、都内で活動することが福井での診断士としてのブランド力向上につながるし、逆に都内で地方の中小企業事情に詳しいということはプラスに働くのではと思った次第です。
③ 周りの人の影響
二拠点生活を実際にやっている元上司や、診断士としてのコンサル業と実業を両立している先輩が周りにいて、刺激を受けました。
「自分にもできるかも」と思えるようになった。
環境って大事ですよね。身近な人のチャレンジって、本当に背中を押してくれます。
まさにこの記事が、あなたの二拠点生活や独立願望、診断士試験を諦めようと思っている人の刺激になれば幸いです。
④ マインドが変わった
税理士法人に勤務していた頃から、経営者と接する機会が増え、自然と「現状維持マインド」「会社員マインド」が薄れていきました。
独立して実際にやっていける、っていう小さな成功体験の積み重ねが自信をくれました。
考えててもわからないことのほうが多い。
失敗したら撤退すればいい。ただし、失敗しても立ち直れる準備だけはしておく。「無謀」と「チャレンジ」の意味を履き違えない。
だから、「少し考え、すぐ動く」というのが、今の自分のモットーであり、合同会社CLEMAの経営理念でもあります。
「住居費」についてもマインドを変えました。
二拠点生活で福井にも東京にも家賃を払う必要があるんなら「住む場所がお金を生めばいいんじゃないか」とマインドを変えました。確か、ボイシーでキンコン西野先生が「持ち家か?賃貸か?」論争にこの理論で終止符を打っていた気がします。
住居兼店舗にすれば、家賃も一部経費にできるし、雇用や委託でそれぞれの拠点を任せられるようになれば、それぞれの拠点が勝手にお金を生む装置になってくれる。
NISA?iDeCo?個別株?暗号資産?金融商品にばかり「投資」している人が増えていますが(私も会社員の時は金融商品への投資にハマっていました)、事業への投資や自己投資こそが今やるべきことだと投資マインドも切り替えました。
⑤ 「移動する人はうまくいく」(長倉顕太 著)に共感

これです。おすすめです。
会社員をやめて色んな活動をする中で、たまたまこの本が目にとまりました。
この本を読んで、今までのモヤモヤやこれからのワクワクの「答え合わせ」ができました。
特に福井にいるとよく感じるんですが、地元から一歩も出たことがない人の視野って、どうしても狭くなりがち。
現状維持バンザイ、自民党しか勝たん、新しいことは面倒くさい。これが福井県民の自己紹介です。
でも逆に言えば、そこから一歩抜け出すだけでリードできる。
だったら、自分は「移動する人」になろうって思ったわけです。
この本の中でも誰かの引用と言う形で表現されていましたが、とても良い言葉がありました。
「最善の選択ではなく、選択を最善にしよう」
長々とここまで書いてくる中で色々な属性の人をディスったように聞こえることもあったかもしれません(スンマセン)。
独立診断士にせよ、副業診断士にせよ、現状維持マインドの会社員にせよ、自民党万歳の福井県民にせよ、どんな属性、どんな境遇だろうと「自分の選択を最善にすればいい」だけなんです。色々と考えても最善の選択なんてものはないんですから。
なので、私はかねてから構想していたこの二拠点生活を「最善の選択」にします。
最後に:自由な働き方は診断士で叶う
診断士という資格は、単なる勉強や知識ではなく、「生き方を自由にするための手段」です。
二拠点生活なんて、数年前の自分には想像もできなかった。でも、資格をとって、マインドが変わって、少しずつチャレンジしてみたら、いつのまにかここまで来ていました。
もし今、試験に向けて頑張っている方がいたら——
あきらめないでほしい。
自分も2次試験を5回受けた「多年度生」です。
239点で絶望した日もありました。
でも、今は心から「診断士を取ってよかった」と思っています。
気になる方は、ぜひチャレンジしてみてくださいね。

保有資格:中小企業診断士(国内唯一の経営コンサルティングの国家資格)
合同会社CLEMA 代表
大手レコード会社、日本酒メーカー、経営コンサルティング会社を経て合同会社CLEMAを設立。SNS採用、SNS集客を中心に中小企業の支援している。公的機関でのコーディネーターも行っており、年間300社以上の中小企業の相談対応を行っている。


